子どもの頃に比べて夢中になれることが減ったのはなぜか?

最近、人に英語を教える機会があって、自分が中学生の頃からずっと無我夢中になって英語を勉強してきたことを思い出した。

中学生だった頃の私は、なぜかわからないけど、突然英語の神が降臨して(?)本当に無我夢中で英語を勉強してた。

当時英会話のジ◯スに通っていた私は、毎日毎日ジオ◯の教材(CDとカセットテープw)を何回も流しながらシャドーイングしたり、真似して読んでみたり。それが今の自分の発音の基盤をつくってくれたと思う。

こうやって昔みたいに「全てを忘れて何かに夢中になる」っていう経験が格段に減ったなーと改めて思ったんです。

ヨガもかなり好きな部類に入るけど、英語に目覚めたときみたいなセンセーショナルな感情は起こっていない。

それはなぜか?子どもの頃に比べて夢中になれることが減ったのはなぜなのだろうか?ということを考えてみました。

新しい何かをやる選択をするのに、必ず損得感情が入る

「損得感情」についてはこの前も書いたけども、何かをやるときに

・これをやって本当に将来のキャリアに役に立つかな?

・費用対効果あるかな?

・これだけの労力をかけてやるだけの価値があるかな?

・これをやってお金に繋がるかな?

というフィルターが必ず邪魔をする。

そして、新しく始めることのほとんどが損得勘定で考えれば「損」でしかないわけで、やらないという選択をするか、やることにしても長くは続かない という結果になる。

前にヨガのインストラクターの資格を取るためのトレーニングを受けないか?と誘われたこともあったけど、やはりそこで「これだけのお金かけてやって(結構高い)ヨガのインストラクターになって食っていけるのか?」という思考が邪魔をしてしばらくずーーーーっと決断できずにいました。

自分よりもっとできる人がいる という事実を知り「自分なんか、、、」感情が湧く

大人になり、子どもの頃より広い世界に触れることができるようになった私たち。

更にインターネットのおかげで更に広い世界の情報を得られるようになった私たち。

インターネットのおかげで、優良教材を無料で入手できる等、多くの恩恵を受けられるようになった反面(当時の私はYoutubeなんてなく、◯オスのカセットテープとかNHKラジオ英会話w)、自分よりよっぽどレベルが高い人が世界にはうじゃうじゃいる という事実に晒されることが増えた。

「自分よりうまい人がいようがいまいがそんなの関係ないわ」と思う人もいるだろうけども、私なんかみたいな負けず嫌いや自己肯定感が低い人なんかは、この時点で「私なんかがいくら頑張ってもそういう人に追いつくことはできない、、、」という思考に陥ると思うんです。

ヨガの話に戻ると、インスタなんかですごいポーズしまくってる人の投稿を見る度に、みんな私なんかじゃなくてこういうすごい人たちに教わりたいだろうな、、、という思考が湧いてくるわけです。

 

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自分が中学の頃あんなに夢中になれたのは、将来これで食ってけるかな?とか英語なんて帰国子女には到底勝てないだからやってみ意味ないかな なんて思考がなかったからだろうなーと。

そう考えると、ある程度歳がいったおじいさんおばあさんが突然テニスを始めたり、ダンスを始めたり(うちの父w)するのは、「これで食って生けたらな〜」という淡い期待みたいなものが消滅するからなんだろうなと思います。逆に、こうやって損得勘定抜きに何かを始めた人の方が、結果的に稼げるようになることもあったり。

 

自分の中で至った結論は、

損得勘定や自分なんか、、、感情を乗り越えない限り、あの時みたいに何かに夢中になれることってないのかもしれない 

そんな自分を変えたく、今回ついに思い切ってヨガのインストラクターの資格を取るためのトレーニングを受けてみることにみました。今後の自分の心の動向や状況の変化についてレポートしていきたいと思います。

何かに迷ってる人がいたら是非フィルターを外して一緒にやってみましょう♡

 

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