人生とは植え付けられた「思い込み」を取り除いて、自分の価値観を取り戻すプロセスを楽しむこと

こないだフッと、人生って、自分の中に長年植え付けられ続けてきた「思い込み」をひたすら取り除いて、「本来の自分」に回帰して、自分の価値観を取り戻していくプロセスを楽しむことなんじゃないかと思った。

 

きっかけは、「昔は優秀だったのにねww」と言われたこと

今回の日本帰国のとき、姉に「昔は優秀だったのにねww」と言われた。

そのとき、なんとも言えない違和感を感じた。後から、姉は

「優秀=良い企業に勤めて、バリバリ働くこと」

を意味していたんだなと気付いた。そして「企業でバリバリ働く」ことから降りた私に対して、「どうしてそんな社会不適合者になっちゃったの?w」ということを言いたかったらしい。そうかー、確かに世間的に言う「優秀」ってそういうことだったよな と思った。

その時に気付いた。

私も前は「優秀=良い企業に勤めて、バリバリ働くこと」だと思ってたこと。そして、自分の中にはもうこの価値観は存在していないことに。

今の私は、そもそも「優劣」をジャッジすること自体に違和感を感じるし、「良い企業に勤めて、バリバリ働くこと」が必ずしも「優秀」であるとは限らない と思う。

そもそも、もう優劣にはこだってないけど、敢えて「優秀」を定義するとすれば、今の私にとっての「優秀」の定義は、

「企業に属さなくても自分の手で稼げる力があること」

だ。

私自身が自分の中に植え付けられ続けて来た「常識」をひたすら取り除き続けて来た結果、自分の価値観や、「優秀」の定義が変わったのだ。

変化したというよりも、「本来の自分」の価値観に回帰した と言う方が正しいのかもしれない。少なくとも、前の自分より今の自分の方が好きだし、満足してる と断言できる。

 

これまでの自分は

確かにそれなりに良い大学を出て、大企業に就職して、英語が得意で、海外のMBAに行って。

履歴書だけ見るといわゆる社会的に「優秀」とされるであろう人生を歩んで来た。

当時は私も、MBAを卒業したら良い会社に勤めて、海外関連の仕事して、キャリアを積んでいきたい なんて思ってたし、そうなるものだと信じてた。

けど、今ではその道からすっかり外れてしまった。

今では、

・朝起きられない
・やりたくないことが病的にできない
・やる気がある時とない時の差が激しい
・やる気が出るタイミングは気分次第
・気が乗らないとメールの返信もできない
・集中してる時に邪魔されるのが無理過ぎる
・オフィス用のちゃんとした服持ってない
・知らない番号の電話出ない

等々、そもそも会社に勤められない感じ。いわゆる「優秀」とはほど遠いw

その代わり、

・どんな状況に置かれても、会社に勤めずとも自分の手で食っていける

自信がついた。

そういう意味で、今の自分は自分の定義で「優秀」だと褒めてあげたい。

 

植え付けられた「思い込み」で人生の道を選んで来た

これまでは自分の価値観に従うんじゃなくて、植え付けられた「思い込み」で人生の道を選んで来たんだろうな、と今振り返ると思う。だから、良い大学とか、大企業とか、MBAとか、「社会受け」する選択肢を選び続けて来たんじゃないかな。

以前から、転職エージェントの人に「履歴書と実際に会ったときのギャップがすごいですね」と言われることが度々あったけど、それは本来の自分自身と、自分が積み上げてきたものに乖離があったからなんだな、と納得した。

 

植え付けられた「思い込み」で選択することが悪いわけじゃない

だからといって、植え付けられた「思い込み」で決断してきたことは全く後悔してないし、その尺度で選択してきたからこそ受けた恩恵も数えきれないほどある。

特に若いうちは、まだまだ社会の尺度に染められてるから、自分の心の声なんてなかなか聞こえない。それでいい、自分の価値観なんて、自分がやりたいことなんてわからなくていいんだ と私は思う。私も32歳にして、まだまだ植え付けられた「思い込み」に染められてる部分はある。

 

大事なことは、

またこれ↓

・様々な経験を通じて、自分自身をよく知っていく

・生まれてから植えつけられてきた「思い込み」や「常識」を取り除いていく

・環境を変えたり、行動していく

これを諦めずに、しつこく、続けていくことなんじゃないかな。

そして、自分が自分に回帰していくこのプロセス自体を、自分が変わっていくことを、楽しんでいくことなんじゃないかと思う。