「私のこの選択、間違ってないかな?」そんな不安な想いが浮かんだときは
ありがたいことに昔から人に相談をしてもらうことが多い私。
よく聞かれる質問上位にランクインするのが、
「この選択って正解だと思いますか?」
結論。知らんw
というと、ものすごい無責任に聞こえますが、正解かどうかについての答えは誰かが与えてくれるものじゃないと思うんです。
正解か不正解か という問いの他にも、自分自身の考え方や行動指針について「自分の外」に答えを求めている人がすごく多いように思う。(偉そうに言ってますが、自分もまだまだ自分の考え方や行動に対して「これって一般的に考えておかしいかな?」とか考えてしまうことがあります)
「自分の考え方って普通じゃないかな?」
「自分がやろうとしてることって世間的に見ておかしいかな?」
「この夢叶えてみたいけど、間違ってるかな?」
誰かに聞けばそれなりな回答は返って来るとは思うけど、それが自分にとって「正解」かどうかは別の話。
「正解」は、自分の外にはない。自分の中にしかない。
前にtwitterでも書いたけど
新しく何かを始めようとする人に「これは正しい選択だと思う?」とよく聞かれるけど、「正解」なんてものは存在しないと思う。
— ちょこ☺︎ (@do_what_youlove) 2016年7月4日
その選択肢自体が「正解」かどうかよりも、自分の手で「正解」にするよう努力することの方がずっと大事だと思う。
自分の心に素直に従って決めたことなら正解だし、なんならその時は間違ってたとして、いくらでも後から「正解」にすることができる。
世間的に見たらキチ◯イな友人のケース
私の周りには、40代で突然アメリカに語学留学に行った人や、30代後半で英語もろくにしゃべれないのに海外で就職したくなってスーツケース一つで海外に渡った人 等々、本当にいろんな人生を歩んでる人がいます。
多分、この人たちが誰かに
「私、この歳だけど今からアメリカ行って英語勉強したいんだよね、どう思う?」
とか聞いたら、きっとほぼ全員が
「は?お前頭おかしくなったんか?w」と言うでしょう。
「俺、英語喋れないけどさ、海外で仕事してみたい!どう思う?」
とか聞いたら、きっとほぼ全員が
「寝言は寝て言えw せめて英語勉強してから言えw」と言うでしょう。
この人たちなんと、その後それぞれ異国の地で事業興したり大いに活躍されています。
そう、周りの人に言われることなんて、全てポジショントーク。
彼らは私たちの人生に責任は取ってくれません。
後から問いただしたら「そんなこと言ったっけ?」とか言われるのがオチw
そんなもん。
何より頼りになるのは、誰の意見でもなく、自分の心の声。
こうやって「正解」依存人間はできあがる
「日本人」と括るのは乱暴だけども、私が関わって来た日本人以外の人よりも日本人は傾向として「正解」を求めがちだと思うんです。
それは教育によることが大きいと思っていて、日本では基本暗記が主流で暗記できればできるほど「優秀」とされ、テストでは選択式の問題で正解を選ぶほど点数が高くなる。全てに「型」という名の正解が用意されていて、それにピッタリ当てはまれば「良い子」だし、はみ出せば「異端児」になる。
そうやって「正解」に依存する人間ができあがる。
そんなんじゃつまらないよね。
「正解」を外に求めるのはやめて、自分の心の声にひたすら従ってみる。
もちろん最初は不安だらけだけど、その先には自分が思いもしなかった世界が広がってるもの。
私ももっともっとまだ見ぬ世界を見ていきたい。
今日も読んでいただきありがとうございます^^
*****
LINE@、メルマガでもブログの更新をお伝えしておりますので、よろしければご登録ください♪